色鉛筆:はじめのいっぽ!

ヤッパリ京都!で!スケッチの日々…。

京都:ことまでと わかさへつなぐ おおはらは

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下のイラストマップ、京都大原観光マップは次の
から頂いた地図です。

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さて、大原といえど、スケッチの場所は…?
ネット通りすがりのため、今回も場所がわからず…。
で申し訳ございません。
(毎度のことでございますが…)
 
大原の里といいますと、京都市内から遠いように思いますが…、
例のごとく、ウィキペディアによりますと、
京都と若狭湾を結ぶ中継地点としてたいそう栄えたようです。

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さらに最長さんがひらいた天台宗本山寺院、延暦寺に近いこともあり、
天台宗系のお寺様、三千院、勝林院、寂光院などが建てられたとあります。
 
 
へぇ〜!!ですねぇ〜!
 
 
当方が心配するほど、さびれたところではなかったようです!!
結構、昔のほうが人の行き来が多かったかもしれません。
 
 
若狭湾でとれた魚を干物にしたりし、
多くの海産物がこの大原の里を通っていたことでしょうねぇ。
 
 
「食の歴史」は「保存の歴史」「食の保存方法の歴史」と
聞いたことがありますが、若狭湾でとれ、若狭湾
保存食に加工され京都へ運ばれたのでしょうねぇ。
 
 
そういう意味では、山深い大原の里には、山の幸と海の幸の食文化が
むかしむかしからあったかもしれません。
大原の里では、結構、美味しいものを色々、食されたいたのでしょう。
 
 
三千院は782年〜806年に最澄が創建し、
勝林院は最長さんから深く可愛がられた最澄の弟子、
円仁さんが835年に創建されたようです。
 
 
では寂光院の創建は?と言いますと…、明確なことはわからず、
お寺様の言い伝えでは聖徳太子が開創したと。
 
 
しかし、江戸時代の地誌には空海さんが開かれたともあります。
 
 
でも「平家物語」に登場する建礼門院さん隠棲のゆかりの地と
知られていますから、いずれにしろ、古いことは間違いがないようです。
 
 
仮に聖徳太子さんが立てらとするなら、
最長さんが三千院を創建される以前に、
寂光院はすでに建てられていたということです。
 
 
聖徳太子さん、お生まれが574年、お亡くなりになったのが622年。
最澄さんは?と言いますと、(諸説あり、正確にはわからないようですが)
766年にお生まれの説を信じると、大原の里を最初に開いたのは、
聖徳太子さん?!となるわけでして。
 
 
(ここから更に想像するのですが…)
 
 
と、言うことは、すでに聖徳太子さんの時代には、
若狭湾と京都の間で、この大原の里をとおる道が
おおいに使われていた?とように思うわけで。
 
 
さらに聖徳太子さん、といえば、奈良!と思い浮かべるわけですが、
奈良から、ここ、大原の里まで聖徳太子さんが来られていたということ。
 
 
すごい行動範囲が広いですねぇ。
車もない時代、大変なことだった思いますが。
 
 
と、言うことは、さらに、若狭湾で作られた干物など、
奈良まで行っていたと思うわけで。
 
 
なにせ食べ物の事ですから、
食欲といえば、少々のことがあっても、
持ち帰ったような気がします。
 
 と、言うことで…、
食べ物のこと、古都(コト)、奈良まで〜!
 
\(^o^)/ 
 
 
 
 
 
本日もお後がよろしいようで…。
 
 
…。
 
 
m(__)m