色鉛筆:はじめのいっぽ!

ヤッパリ京都!で!スケッチの日々…。

京都:常照寺 吉野大夫の 花供養

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ここ京都は常照寺〜!
 
元和二年(1616年)に創建されたとあります。
この前の年、元和元年には「大坂夏の陣」があり、
豊臣氏が滅んでおります。
時代が大きく一歩動いた年の翌年です。
 
次の時代の期待もあったのでしょう。
このお寺さんの最盛期には
200名ほどの学僧さんが
勉強されていたようです。
 
このような勉学のお寺に、
寛永の三名技と言われた「吉野大夫」さん、
本名、松田徳子さん(身近に感じる〜!)が
寛永五年(1628年)、徳川三代目将軍、家光公の時代、
このお寺さんに山門(赤門)を寄進をされております。
 
吉野大夫さんの事、例のごとく、
ウィキペディアで拝見させていただくと、
>幼少のころ、(色々、あったんでしょう)
>遊女を世話する林家に抱えられ…
 
まぁ、昔のことであれ、辛い話であります。
おしん」の川下りの場面を思い出します。
 
そして、
>14歳で大夫
になられています。
 
今で言うと中学生の時ですよねぇ。
今なら、児童福祉法なんかに
引っかかっていると思いますが…。
 
そんな、松田徳子さん、いや、吉野大夫さん、
>「和歌、連歌、俳諧」が達者!
その上、
>「琴、琵琶、笙(しょう)」が巧み!
 
さらにさらに、
>「書道、茶道、香道、華道、貝覆い、囲碁、双六」を
極めておられた〜!
 
いや〜、スゴイですねぇ!
 
でも、このようなマルチプレイヤーだけでなかった!
さらに、
>「圧倒的な存在感を放ったと
>言われるほどの美貌」があったそうで。
 
いやぁ〜、お目にかかりとうございますが…。
時、すでに遅し。
 
まぁ、もっとも庶民の私なんぞには、会っていただけません。
ほど遠いお方でございます。
 
なにせ、馴染みのお客さんには、時の
>「後陽成天皇の皇子で近衛信尹
>養子である関白近衛信尋」さんや
>「豪商で、当時の文化人の
>ひとりである灰屋紹益」が
おられたそうでございます。
 
そんな吉野大夫さん、
>「寛永8年、1631年」に
吉野大夫をやめられ、
先ほどの「灰屋紹益」さんと
ご結婚されています。
 
>「時に26歳」
当時にしては遅い方ではないでしょうか。
 
ところが、
>「寛永20年8月25日(1643年10月7日)」
>「38歳」でお亡くなりになっています。
 
まぁ、美人薄命といいますか…。
なんとも短い命で、悲しいことです。
 
ここ常照寺さんでは、
>「毎年4月の第三日曜日に花供養」が
行われているとのことです。
ぜひ、行きたいものです。
 
吉野大夫さん、美貌の絵、
残っていませんか?
 
お墓は残っているそうですが…。
 
 
 
 
 
 
 
m(_ _)m